経歴

議員活動

の紹介

三原市議会議員

  - 現在

 

 平成25年4月14日に投開票が行われた市議会議員選挙に立候補し、1,238名もの方から貴重な一票をお預かりし、当選を果たすことができました。

 秘書として支えた天満よしのり市長の県議時代を見習い、地域に出向き、皆さんの声に耳を傾ける日々を繰り返しています。

 皆様からのいただいた貴重な声に応えるよう、三原市職員の皆様の知識と経験、私個人がこれまでに築いてきた人脈と経験を活かし、粉骨砕身、三原市を魅力的な自治体にするため微力ながら奮闘しております。

職歴​

天満よしのり県議会議員秘書

​  - 平成24年

 

 五十肩を患うとともに家庭の事情もあり、恩義ある会長夫妻と社長に最後までわがままを通させていただき退職しました。

 休職中、前回の県議選のお手伝いをさせていただいた、高校の先輩である天満よしのり県議(当時)を訪問しました。ご多忙中にもかかわらず、笑顔で丁重に応対していただき感銘しました。

 その時、一枚の講演会のチケットを渡されました。特に興味はありませんでしたが、県議への社交辞令で参加しました。なんと、会場は超満員。講演者は、田母神俊雄氏でありました。

 参加者の大半を、天満県議が勧誘したと人づてに聞きました。

 この出会いをきっかけに、天満よしのり県議(当時)の秘書を務めることとなりました。

 

 

東洋木材株式会社

​  - 平成21年

 

 社長は高校・大学の先輩で、そのご両親には以前より、実の親以上に可愛がっていただいていました。そんなご縁もあり、お世話になることとなりました。

 「金ヘン」から「木ヘン」へと、一から勉強の毎日でした。

 大型免許も取得し、おぼつかない運転で自ら配送もしました。製品を満載して、山陰までの夜中の雪道の怖かったことなども、今は懐かしい思い出です。

 市議会議員となった今も、猪突猛進の私のわがままを我慢してくださった会長夫妻と社長には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

広島県信用組合

​  - 平成2年

 

 昭和50年に就職、その年に広島カープが初優勝しました。万年Bクラスの弱小球団が優勝するとは、ゆめゆめ思ってもいませんでした。猛将ルーツ監督の中途退団のあと古葉コーチが監督に就任、山本浩二と衣笠を中心に快進撃を続け、もしかして優勝するかもと広島の街は大フィーバー、先輩と旨酒を酌み交わしたことを思い出します。

 あの感動は、一生忘れえぬ熱い思い出であります。

 そんな仲間とともに、連日の激務をこなしました。

学歴

京都産業大学 経済学部

  - 昭和50年

 

 昭和46年の入学当時は、一般に「70年安保」と言われる学生運動が盛んなころであり、他の大学のキャンパスは紛争が収まらず、想像を絶する状況でした。

 小柄な私は単身で丸坊主に丈の長い学ランに下駄ばきで、勇んで騒乱状態のキャンパスに乗り込みましたが、あまりの凄さにしっぽを振って退却したものです

 私の4年間は応援団活動に明け暮れました。華々しい野球部の応援ですが、そのための日々の鍛練は特に厳しいものでした。

 小柄な私は、気持ちだけは負けまいと、虚勢を張り必死に食らいついていきましたが、その時の訓練が私の強い心身を作りました。

 また、応援団を率いる立場として、副団長も務めました。

 今でも思い出が、走馬灯のように鮮明に駆け巡ります。

 

 

三原工業高等学校 普通科

  - 昭和46年

 

 普通科ができて6年目に入学しました。

 当時の担任の先生は熱血漢で、一人でも多く大学へ進学できるようにと熱烈に指導をされましたが、私も先生のお蔭で大学進学を果たせました。

 在学中は「体力をつけるため」にと、一年中、運動場を何周も走ることが昼時間の日課でした。おかげで、運動会は普通科が常勝でした。

 在学中、先生には何かと大変心配を掛けましたが、今の私があるのも、熱血漢の先生のご指導があればこそです。

 その恩師の先生とは今でも交流を続けさせていただいており、平成25年、市議会議員選挙に出馬した際には応援をいただくなど、いまだに心配をお掛けしております。